よし君は型枠大工の仕事してた。
私はよし君の家に上がりこんで数日が過ぎたころから、毎日お昼代として3千円置いていってくれてることを何か悪いなぁと感じていた。
そういえば駅前にスーパーがあったなぁと、お昼代の3千円で夕食を作ることにした。
それまで実家にいた時、母のお手伝いなんか一度もしたことなんかなかった。
ある朝、よし君が仕事に出る前に「よし君って何か食べられないものってある?」って聞いてみた。
よし君は「なんで?椎茸は食べられないな。まっいいや!とりあえず仕事行ってくるな」と慌てて家を出て行った。
その日の夕方、私は駅前のスーパーでどんなものが売られているかを見に行った。
小さなスーパーだった。
スーパーと言うよりおっきな八百屋さんって感じ。
野菜も品揃え豊富で価格もそれなり。
これだけ揃っていればちゃんとした夕御飯作れるな、鍋と包丁、食器はちゃんとあったし、ぁ!調味料買わなきゃいけないんだ3千円で足りるかな?と思考を巡らせて買い物をした。
その日の夕御飯は魚を焼いて、味噌汁と酢の物、野菜炒めを作ってよし君の帰りを待っていた。
マンションの階段を上がってくる足音が嬉しい。
作った夕御飯を見てどんな表情してくれるだろう。
仕事から帰ってきたよし君は「えっ!なにこれ?のり子ちゃんが作ったの!?スゲーじゃん!」と驚きと喜びの反応をしてくれた。
その顔を見て作ってよかったって素直に私も嬉しいと思えた。
その日から夕御飯(日曜日のよし君の仕事が休みは昼御飯も)を作るようになった。
二日目はサラダにオムライスにほうれん草のソテーを作った記憶がある。
ただ、夕食の買い物に行く時も包丁持って調理してる最中もシンナーの入った缶をくわえていた。
焼き物(焼き魚、しょうが焼き、ピーマンの肉詰め、ハンバーグなど)、炒め物(野菜炒め、ニンニクの芽と牛肉の炒め物、アスパラガスとベーコンの炒め物など)、煮物(鰤と大根の煮物、里芋の煮っ転がし、ロールキャベツなど)、和え物(大根おろしとシラスの和え物、ハムとキュウリとワカメの和え物など)と味噌汁、私は思い浮かんだ物はだいたい料理した。
私は感覚で料理した。
だから美味しくても不味くても同じ味は出せなかった。
新しい物を作った時の「のり子ってスゲーじゃん!」って言うよし君の笑顔が好きだった。
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