私は父が亡くなったことを現実だと受け入れられなかった。
夢の中みたいに実感が湧かない。
私は父が亡くなったことを受け入れられない状態で、母は泣きじゃくっていた。
母は私より父と一緒に人生を過ごした時間は長く、今まで心の支えになってただろうと母の方が私より辛いんだと思った。
母に泣いてる場合じゃない、死んだことを理解しろなんて思えなかった。
私は取り乱した母を気遣った。
葬儀屋の話を聞いてて、現実的に情況を考えたら、喪主にあたる私か母が親戚に連絡やら弔問は大体何人来るかとかの葬式の段取りに追われた。
父のことを普段気にしないで生きてた事で、父の人付き合いがわからなかったから連絡する知人がどれだけいるのか、弔問にどれだけの人が来るかもわからなかった。
母は本家の嫁でそれまでも小姑イビリがあって親戚が苦手だったため私が動くしかなかった。
とにかく親戚中に電話を掛けた。
すぐに親戚が集まった。
でも、私と母は父方の親戚とは仲がよくなかった。
父が癌になって仕事を辞めざる終えなかった時に線路沿いに建っていた家を立ち退かざる終えなかった時、父の妹が来てお金を要求されたと聞いていた。
父は姉と妹2人がいたけどその3人ともたちが悪かった。
でも、知らせないわけにはいかず連絡をすると飛んできた。
私は父方の従姉妹と仲良くなかったけど、父の一番下の妹の娘が気を利かせて喫茶店に私を連れて行き「自分の親のことこういうのはよくないんだけど、もし今後うちの母が金銭を要求するようなことがあったら連絡して…力になるから」と言った。
その喫茶店に出ている最中、たくさん親戚が集まってたにもかかわらず亡くなった父に付き添っていたのは母だけで、他の親戚はリビングでお茶を飲んでいたらしい。
母の姉と妹が来て具合悪く憔悴しきった母を二階で休むように言ってくれたと言っていた。
私は家に帰り霊安室で父のことを聞いたとき口の中からガーゼが出てきたと病院関係者に聞いていたのでそのことを話すと一気に場の雰囲気が変わった。
もしかしたら、具合悪くなって行った病院先の医療ミスじゃないかという話になった。
父方の親戚は金になるとばかり食いついてきたのだ。
遠い親戚の人が消防士で顔が利くので救急隊員の人に話を聞きに行くと父の姉と妹の旦那達が出掛けていった。
どっちにしたってもう父は帰らぬ人になったことは変わらないそう思っていたら、話を聞きに行っていた旦那達が帰ってきた。
「あはははっ!なんでもなかったよ」
私はその笑い声にキレた。
「どうだったとしても父が亡くなったのは変わらないじゃないですか!笑うなんてデリカシーがなさすぎるんじゃないですか!?」
私の叫び声で母の妹が飛んできた。
「のり子、気持ちはよくわかる…少し休みなさい」と私の部屋へ私を連れて行った。
母の妹は悔しくて怒り狂ってる私をなだめてくれた。
そして、葬儀屋に弔問に来るだろう人数を伝えなくてはいけなくなった。
父は私が小学生だった時にやっていたガールスカウトのリーダー達と付き合いがあった。
会社関係の人、ガールスカウトを通じて知り合った人、同級生…ざっと思い浮かぶ人を母と考えて、お返しのテレホンカードを300個用意してもらうことにした。
あまれば金券ショップに持って行って換金すればいい。
そう思って多めに頼んだのだ。
そして葬儀屋の人がいろいろしてくれて父の亡骸は祭場に移った。
葬式の時、祭壇に花がたくさん飾られてそこに父の遺影が飾られている。
父が死んだんだとその時実感した。
もう、父と話すことも顔を見ることもできなくなるんだと涙が止まらなかった。
告別式の時たくさんの人が来てくれた。
祭場は一番大きな祭場を借り切ったのに、御焼香をする時は並んだ人が祭場の外まで溢れる事態だった。
ガールスカウト関係で市議会長やら、野鳥の会やら、会社関係の人、同級生…よっ君も来てくれた。
葬儀屋の人が御焼香を四つに増やしたけど全然足りない、そんな感じだった。
もちろんテレホンカードも足りない100個を葬儀屋が追加してくれて合計400個渡した。
父がこんなに人付き合いがあるなんて思ってもいなかった。
父が亡くなって弔問に来てくれた人の多さを知って初めて父を尊敬した。
亡くなってからじゃ遅いのにね…。
父とは子供の頃は仲良くなかった。
中学生になってからは心配をかけ、中学を卒業したあとは迷惑をかけてきた。
新しい家が建って、私がバイトをちゃんと行ってたことで、ようやく距離が無くなり一緒に花壇を作ったり会話もするようになってきた矢先に父は帰らぬ人になってしまったのだ。
もっと父とコミュニケーションをとっていればよかった…そう思っても、もう父はいない。
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