中学三年になった。
清佳とゲームセンターが閉店の時間まで遊んだ帰り道、ヤン車の男にナンパされた。
それまでナンパされたことのなかった私達はどうしようか悩んだ結果車に乗り込むことにした。
が、男がデブサイクだったし車はどこ向かってるかわからなかったから「ヤバくね?」と清佳とコソコソ話し合って、信号が赤になったら車から逃げることにした。
信号が赤になったので2人共車から降りて目の前にあったファミレスに非難した。
清佳の彼氏が大学生だったので車で迎えに来てもらい、さっきナンパされた駅まで送ってもらった。
清佳の彼氏の車降りて歩いているとまた車が横付けしてきて…今度はさっきのデブサイクヤンキーとは違い、ドレットヘアーのラッパー系で格好良い3人だった。
私達は車に乗った。
今回はヤバいとは思わなかった。
缶ビールを買ってもらい楽しくはしゃいでると男が「いい薬あるけど」と錠剤を出してきた。
私達のどうしようかという顔を見て、「違法なやつじゃないし心配しなくて大丈夫だから」と言われ、薬を見てみると薬局でもらう処方薬だったから飲んでみた。
飲んでも何も変わらない。
結局8錠ビールで飲み干した。
気がついたらラブホテルのベット…そのホテルは1室にベットが二つあり、隣のベットでは清佳が喘ぎ声をあげていた。
私達が飲んだ錠剤は睡眠薬だった。
男(けい君)が、今もう入れるというタイミングで気がついた私は「ちょっと待って!アタシ処女だからやめて!」と悲願するとけい君はしばらく考えやめてくれた。
朝になると男達は仕事があるせいかホテルの最寄りの駅まで送ってくれて電車賃をくれた。
地元に戻ってきても行くところがない。
清佳と二人でみちよのアパートに不法侵入することにした。
みちよの部屋の鍵は洗濯機の中にあることを清佳が知ってたので簡単に入れた。
二人で部屋を物色してると、台所の窓から父の怒鳴り声が響いた。
一晩帰らなかった私のことを探していた父は、みちよのアパートの前にとめた私の自転車を見つけて怒鳴りこんできた。
清佳は窓から逃げ出した。
私はドアから出て、父と殴り合いのケンカになった。
その時私は興奮してたので何を父にぶつけたのか覚えてないけど、翌日父は坊主頭になった。
私達は夜中は駅のロータリーがナンパ車だらけなのを知った。
そうして、私達の遊びは真夜中の深夜徘徊、ナンパ待ちになった。
夕方から化粧して厚底サンダル履いて露出度の高いギャル系の服を着て、ロータリーのバスのベンチに座り、2~4人くらいで喋ってるだけ。
その頃から清佳、さつき、加代子とC四中の愛、K二中の洋子と私がつるみはじめた。みちよは私と清佳と揉め仲間から外れた。
ナンパはバスの運転時間が終わったころから男が2~3人乗った車が入れ代わりたちかわりやってきて、ヤンキー系、ラッパー系、普通系、チーマー系と様々だった。
だいたい18~25歳位前後の男達が「なにやってんの?喋ってるだけなら俺らも交ぜてよ!車の中とかの方が落ち着くし」とか「君達何歳?誰か待ってんの?」とか「一緒にカラオケ行って遊ぼうよ!」とかいう感じで声をかけてきた。
時には、一台のナンパ車と話してる間に停車してる車の後ろにもう一台、その後ろにも…5~6台の車の列ができちゃって、みんなで笑いながら「あれも、ウチらにナンパする待ちの車っぽいよね!開いたらすぐ横付けしてくるよ!あははっ」と今ナンパしてきた車の男達の様子や顔や色々チェックしながら話したりしてた。
年齢は聞かれなくても、声を掛けてきたら一番に返す返事は「ていうかぁ、ウチらまだ中学生だしぃ…もしもの時には、お兄さん達ある意味犯罪者になっちゃうよぉ」とか中学生を強調してた。
ナンパ男は便利だった。
家出同然な金無し子のウチらはホテルやカラオケ、ナンパ男の自宅…どこへでもついて行った。
H&ヤバイ雰囲気になった時は子供っぽく変身して「だって中学生だって最初に言ったじゃん。何にもしないって言ったのにぃ~犯罪だよぉ?」と相手の気持ちが“確かに中学生に手を出すのはチョットマズイかなぁ…"と立場を考えさせる様に可愛子ぶりっ子をする。
私達はズル賢さはずば抜けてた。
初めてナンパしてきた男達と遊ぶ時は全て自分達の知ってる場所しか行かなかった。
だから危険な事態は無かったからナンパ待ちは楽しかった。
今思うと運が良かった、心底悪い男に会わなかっただけなのかもしれない。
大概ナンパされた後に行く所はカラオケで、入室したらすぐに生ビール中ジョッキ3杯連続一気。
一気コールが始まると飲まされた人が次に誰かに飲ませる「♪ところがぁ~◯◯ちゃんビールが飲みたりないっ…そこで一気キィ~のキィ~×②!」一気コールはカラオケ出るまでずーっと続くのが当たり前だった。
私の十八番は工藤静香の
抱いてくれたらいいのにで、加代子とはwinkの
追憶のヒロインや、セーラームーンの
ムーンライト伝説をハモって歌ったりもしたけれど、一番盛り上がったのがTRFの
survival dance~no no cry more~だった。
昼間は家出仲間とデパートのトイレの更衣室で寝たり、マックでナンパ男の事やくだらない話をして時間を潰した。
夕方5時頃から化粧やお洒落し始め夜の街へ出る、毎晩ナンパ待ち。
遊ぶお金はナンパ男に出してもらうから男を利用して夜遊びしてた。
収入なんてなくても食事や服等、出会った男がお金出してくれるから困ったりしなかった。
中学生の私達の家出は1ヶ月以上はザラだったし、たまに昼間両親が仕事で家にいない時間に帰ったりはしていた。
仲間の一人は真夜中に塀を登り、二階の自室に進入して必要な物を取りに帰った仲間もいた。
そんな家出の中一つ決め事が私にはあった。
それは公衆電話から毎日家に電話をすること。
私の場合両親が嫌いで家出したのではないので、長期間の家出で親が私の身に何かあったのかと心配していると思ったからだ。
電話の内容なんてなんでもいい。
一方的に「とりあえずまだ帰らないから」「生きてるよ」一言だけでも電話一本入れるだけで心配の度合いは少なくなると思い連絡だけは取っていた。
まぁ怒られるのは当たり前だし、遊んでて帰ってこないのであれば、親が子供の事を心配する思いより、好き勝手に遊び回ってる子供への怒りの気持ちの方が多くなるだろうとと思ったからだ。
私の状況がわからない不安で心配させる事より、心配だけど自分勝手な私に怒る気持ちの方が両親の気持ちが楽なんじゃないかと思い、親のことを私なりに考えて決めた自分のルールだった。
それに警察に捜索願いを出されないためにも電話した。
自分勝手に遊びあるってた私が唯一、親を考えた事でもあった。
時々、私を心配して父と母が駅前ロータリーに現れた。
私は父と母がロータリーに来ると、逃げるように近くに走ってたナンパ車を止めて乗り込み初対面の男に「ヤバい!ヤバい!早く車出して!」と言って父と母を置き去りにしたこともあった。
最低な娘だった。
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