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.*フェニルメチルアミノプロパン*.~覚せい剤やめますか?それとも人間やめますか?~薬物乱用から断薬までの道
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私の名前は のり子。

1979年8月5日生まれ、獅子座のA型。

現在、心療内科に通院しています。

元違法薬物乱用者で、逮捕歴は4回あります。

鑑別所送致、中等少年院送致の経験があります。(刑務所はありません。)

これから、私の人生の足跡を記載します。

※当ブログは、覚せい剤や違法薬物の入手や使用を推奨するものではありません。
また、犯罪者を援護したりするものでもございません。
内容についての問い合わせには一切お答えできませんので、ご了承願います。





今は後悔してる…

私の人生、どこで間違えたのか…

初めて煙草を吸った時?初めてお酒飲んだ時?深夜徘徊始めた時?処女を無理やり奪われた時?シンナー吸った時?初めて逮捕された時?S(覚せい剤)を炙った時?二度目に逮捕されて少年院に送致された時?ネタ(覚せい剤)を初めて静注した時?。。。私の人生を振り返る。





生まれた時は未熟児で斜頚(臍の緒が首に巻きついた状態)だった。

生まれる前は切迫流産の恐れがあるため、母は10ヶ月くらい病院に入院して過ごしたらしい。

生まれてまもなく小児喘息とアレルギー…病気しがちで何度か入退院を繰り返していた。

私は幼少期どちらかといえば健康な子ではなかった。

私の記憶に残っているのは、深夜に喘息でゼィゼィ息苦しく吸入器を使っている時も父は見てみぬふり無視されてて、時には「うるさい!」と怒鳴られ私の心は傷ついた。

父が不機嫌だったのは仕事で疲れてたからなんだろうけど、幼かった私は「私が喘息で苦しんでるのにどうしてお父さんは怒るの?」と不思議でしかたなかったし悲しかった。

冷たい父を補うかのように母は心から心配してくれた。

母は過剰なほど優しく、私が喘息で苦しんでても父が自家用車で病院に連れて行くことがなかったので、喘息の発作がひどい時はいつも母が夜中にタクシーで病院に連れて行ってくれた。

父の冷たい態度は幼い私には理解出来ず、ただ嫌な思い出として心に深い傷が残ってしまった。



我が家は普段から家族の会話はなくテレビがついているだけだった。

父に何か話掛けても返答すら返ってこない…だから私は母からしか安心感を得られなかった。
大人になった今、重度のマザコンになった。



父も夏・冬は海とスキーに連れて行ってくれたりもしたけど、普段の日常は父、母、私の三人家族だったこともあるが、賑やかで楽しいとか笑い声とかはなく家族団欒な生活ではなかった。

そして、冷たい父に寄り添い過ごしている母のことも理解出来なくなって私は心を閉ざしてしまった。


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