1995年7月20日によっ君の大麻取締法違反の初公判が行われた。
よっ君は裁判の2日前、ドレットだった髪の毛をバリカンで剃り落とした。
「なんで?なんで坊主にしなきゃいけないの?」と私が聞いたら「この方が反省してるって感じだろ?裁判官の心情がいいんだよ。まっ、反省坊主ってやつだな」とよっ君は言った。
そして裁判の日の朝、仕事行く時に毎日している行ってきますのチューをして、よっ君は裁判所に出頭した。
私は、よっ君が保釈される時の誓約書に‘裁判が終わるまで私と連絡とってはいけない’と書かれてたので、よっ君の裁判を見に行くことが出来なかった。
夕方、裁判を終えたよっ君が帰ってきた。
「どうだった?」と聞くと、よっ君は懲役2年を求刑されたと言った。
2年!?長すぎる…と思った私の顔を見て、よっ君は「多分、執行猶予がつくだろ…大丈夫だよ!」と言った。
私は、執行猶予???
執行猶予がよくわからない。
「執行猶予ついたらどうなるの?」とよっ君に聞いた。
実刑判決がたとえ求刑どうりに2年でも、その刑の執行をある一定の期間、猶予してもらえると言われた。
ようは、今回初めて悪いことして捕まったけど、例えば執行猶予3年だったら3年間悪いことしないでいたら、実刑で刑務所行かなくてもいいですよってことだ。
ただし、執行猶予期間中に再度犯罪を犯して捕まったら一回目の判決で決まった実刑+二回目に犯した罪の実刑判決の期間刑務所に入ることになりますよってことだった。
よっ君は「余裕だろ!執行猶予でパイだ!パイ!」と言っていた。
私は、よっ君が執行猶予になることを心から祈った。
初公判から判決がくだるまでの間に、よっ君と私はS(覚せい剤)にどっぷり漬かっていた。
1995年7月28日判決が言い渡される裁判の日、よっ君はSでキマってて4日も寝てない状態で裁判所に出頭することになった。
私は、出掛ける時のよっ君の顔色の悪さを心配したが、よっ君は「そんな心配するなって!万が一パクられたとしてもダブル執行でパイだ!パイ!」と言って裁判所に向かった。
判決は実刑8ヶ月の執行猶予3年だった。
執行猶予の3年間、パクられなければ実刑8ヶ月の刑務所はお務めしなくてすむということだった。
私もよっ君も安心して喜んだ。
問題は私の方にあった。
大麻取締法違反で逮捕されたことで家庭裁判所の調査官に話を聞かれることになったのだ。
それでも、実家に帰らずよっ君と一緒に暮らしていた。
調査官に話を聞かれる日の前の夜によっ君の車で実家まで送ってもらい、翌日、父と母と一緒に霞ヶ関の家庭裁判所まで行った。
調査官は牛山さんという女の人だった。
「どうして同棲してるの?」とか「毎日何やってるの?」とかすごいいっぱい聞かれた。
大麻取締法違反でパクられてから調査官に話を聞かれるまでの間にSにどっぷり漬かってしまってるのに、私は「2人でいるから薬をやらないでいられます」「一緒に暮らしていないと、よっ君がまた薬に手を出すと思うから一緒にいるんです」と大嘘をついて調査官に話をした。
私の処分がどうなるのかが見当もつかないので実家の近くの弁護士事務所に相談料を払って相談しに行った。
でも、成人した人のおよその量刑はわかるけど、未成年の場合は保護観察ですむのか、鑑別所に送致されるのか、少年院に送致されるのかわからないと言われた。
この時、私は少年院はないだろうなと思っていた。
鑑別所か…とにかく調査官を丸め込まなきゃと思って、とにかく嘘ばかりついた。
嘘の話を真剣に聞いていた調査官。
私の調査は8月に一回、9月10月に一回ずつ、それで審理され審判が決まる予定だった。
9月10月の調査はSでキマって何日も寝ないで行った。
行き帰りの電車の中で立ちながら寝そうになり、体重も40㌔なかった。
調査官と話をする室内は天井、壁、どこみても真っ白でSでキマってる私はどこを見て話をすればいいか迷った。
真っ白で静かでSでキマってて落ち着かないけど、落ち着いてるふりをしなきゃいけない。
前夜からSを炙っていないから睡魔が襲ってくる。
母は「のり子、大丈夫?」と聞いてきた。
私は半分寝たような状態で「うん。大丈夫」と答えた。
そんな普通じゃない状態だったけど調査官の前では淡々と「よっ君と一緒に暮らせば悪いことしないでいられる」と精一杯の嘘の説明をし続けた。
調査官に怪しまれることもなかった。
きっと保護観察ですむと思っていた。
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