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.*フェニルメチルアミノプロパン*.~覚せい剤やめますか?それとも人間やめますか?~薬物乱用から断薬までの道
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少年院生活を11ヶ月間で仮退院した。

留置場と鑑別所に拘束されてた期間を含めると約一年が経過していた。



仮退院の日はやっと開放される嬉しさで気分は絶好調だった。

迎えに来てくれた父の運転する車に、父、母、私の家族3人。

榛名女子学園を出たところでコンビニに寄ってもらい5千円分のお菓子を買ってもらった。

少年院では『かみなり』という群馬の名産菓子が、毎週日曜日のレクレーションの映画を見る時に出ていた。

園長先生が変わってからはスナック菓子が出ていたし、行事にもお菓子が食べれた。



毎週出ていた『カミナリ』は形の悪かった物や割れてしまった物を工場から寄付してもらっているから榛名女子学園では毎週おやつが出るけれど、他の少年院では毎週お菓子は出ないという話を先生から聞いていた。

それでも就寝後「ピザが食べたいな…アイスクリームも…」と食べ物ばかり考えてた。



コンビニで食べたかった物を手当たり次第買い込み、食べた私の体重は1日で3㌔増加した。



仮退院した私は、榛名女子学園を出て八王子家庭裁判所で手続きをし、自分の家に向かった。



家に着くなり私の自室に入ると、真っ黒なポリ袋がどっさり置いてあった。

母が「よっ君のお母さんがまとめて返してくれたのよ。渡されたままとっておいたから…」と言った。

“ゴミ袋か…衣装ケースとかにまとめてくれてもいいのに…”と少しショックだったけど、よっ君のお母さんがよっ君の居なくなったあの部屋で一人、後始末をした気持ちを考えてみたら“ゴミ袋にまとめて返してくれただけでも感謝しなくちゃいけないのかな…”って思った。



少年院から仮退院して3日も経たないうちに私は母に「煙草吸いたいんだけど…駄目?」と煙草を吸いたいと言った。

母は「そう言うんじゃないかと思って…」とSevenStarsを出してくれた。

一年ぶりの煙草。

美味しい。

初めて吸った時のようにクラクラした。



私は鑑別所にいた時から、娑婆に戻ったら製菓専門学校に入ることになっていた。

少年院で、願書と一緒に提出する作文も書いてあった。



仮退院してから受験までの数ヶ月間は担当の保護司の紹介で、大学生の人に中学の数学や英語を教わりに週2回くらいのペースで保護司のもとへ通う生活を送ってた。

保護司は中学の英語の先生をしていて保護司会の会長をしてる私の嫌いなタイプの人だった。



一応、月一回の面接には行き話す内容は「特に問題とか悩みはありません」と形上、保護観察中だからというだけの関係だった。

とても少年院にいた時、担任の及●先生に対して話たように素直に話が出来るタイプではなかった。

逆に表面上、いい子にしてれば大丈夫だろうと、心の内を話しても気持ちをくんではくれないだろうと思っていた。

なんでこの人が担当になったのか…保護司が心の頼りにならないことから、自分の今後が大丈夫か不安に感じたけどそんな事は誰にも言えなかった。



父や母には心配させたくないからと悩みや、やるせない気持ち、過去への想いから湧き出る寂しさを伝えられずにいたし、友達はいない。



少年院に入る前の遊び仲間とはすぐに連絡とれたけど、仲間は私が少年院に入っていた間に成長し、学生やバイトをそれなりにやっていた。

私だけ取り残されたと、余計に自分は孤独なんだと思ってしまった。



娑婆に戻って来て周りの環境が予想してた以上に変わっていた事に私は戸惑っていた。

10代の一年という拘束時間は長すぎた。

少年院みたく誰か信用出来て相談出来る人は居ない。

悩みも、なにもかもを自分で片付けるしかない。

戸惑いの中自分で自分に「少年院の生活で問題が起こった時、投げやりになったり逃げたりすると失敗してしまう事、いろいろ教わったことたくさんあるじゃん。私だけじゃない。きっと少年院で一緒に生活した皆だって同じように環境の変わった世界に帰って頑張ってるはずだし、戸惑うのは少年院に入ったら誰でもぶつかる一つ目のハードルなんだ」って言い聞かせた。



馴染めない生活の中、数ヶ月なんてあっという間に過ぎてしまった。



普通の生活さえ戸惑いながら過ごしてるのに、学校なんて行けるのかな?

正直、私は無理していた。

父も母も保護司の先生もみんなが、私が専門学校に合格して、学校に通って更正してほしいと思っていた。

今さら専門学校を受験したくないなんて言えない。



そして、受験に必要だった願書を2年ぶりに母校の中学校まで取りに行くことになった。

17歳になった私の母校。

まだ昼休みの時間、生徒の声が響いてる。

裏口から入って、懐かしい景色に2年も前の事だと感じられない。

大麻及び覚せい剤取締法違反で捕まった時から私の時間は止まっちゃってるように感じた。



学校は昔のままで、私は中学生時代の時を思い出しながら、無茶苦茶でいい加減な事ばかりしていた事や、中学校くらいまともに通っていたらこんな状態にはなってなかったのかなと、中学校にちゃんと通わなかった事を後悔した。

あの頃、先生達は私をちゃんと見てくれてて、見捨てたりせず私のために、いろいろ悟してくれてたこと、それでも遊びたい気持ちに流されて勝手なことばかりしてきた私。

先生達は私が少年院に行ったの知らない。

私が受験するなんてびっくりしているだろう。

もしやり直せるなら中学生時代に戻りたい。

いろんな気持ちを抱えて職員室に向かい廊下を歩いた。



ドキドキしながらガラガラッと職員室の扉を開けた。

お昼を少し過ぎた時間で、前もって願書を取りに行きますと電話で連絡しておいたせいもあり、問題児だった私がどんなになったかを見たかった先生も中には居たんだと思う。

知ってる先生が職員室に勢揃いしていた。

丁度、職員室に入った時にチャイムがキーンコーンカーンコーン♪…と鳴り響き、私に集中していた先生達の視線はなくなり、先生達はパラパラと授業に向かい職員室から出ていった。



三年生の時の担任の先生が「のり子~っ!久しぶりっ!元気してるみたいで良かったよー!受験するって聞いた時はびっくりしたし心配だったけど、だいぶ落ち着いたみたいで安心したよ!」って気持ちよく出迎えてくれた。

「とりあえずこれが願書ね!それと、これも捨てられずにいたのよ。先生の机いっぱいだから返すねぇ!」って引き出しからSevenStarsの煙草が10個くらいと、錆びたピアスがたくさん出てきた。

“先生ずっととっておいてくれてたんだ…2年も経つのに”と嬉しかった。

それと“私が来なかったらいつまで保管してたのかな?没収したヤツだけどたいした物じゃないし…何で捨てなかったのかな?”と不思議に思いながら「えーっ!まだとっておいてくれてたんだーありがとう!先生!」と引き出しから出てきた品物を受け取った。

先生は私に「ずいぶん変わったねぇ~。のり子のことは、どーしてるのか心配してたんだぞ!学校行って頑張るんだぞ!先生応援してるからね!」と笑顔で言ってくれた。

その笑顔を見ながら「大丈夫だよ!先生。アタシ昔と変わったからさ!エヘッ」と作り笑いをした。

私は心の中で“先生…アタシを助けて…”と叫んでいた。

変わった?私昔より良くなった?先生、私、少年院行ってたんだよ。



先生に頼ることは出来ない。

相談が出来るのは中学生だけ、先生と生徒の関係だから。

卒業した今の私が頼るのは迷惑にしかならない。

せっかく先生は喜んで出迎えてくれたのにそれを壊すようなことは出来なかった。



30分くらいして「じゃあ…ありがとうございました。先生アタシ頑張るね!またねっ!」と、ガラガラッと扉を開け笑って職員室をあとにした。

来たとき通った廊下は、懐かしさやドキドキではなく、帰りは涙目で歩いた。

私はもうここの生徒じゃない。

先生は私を見て喜んでくれた。

良かったと思わなきゃ。

今はもう、優しい先生に助けを求めちゃいけない。

泣いちゃいけないんだと目に溜まった涙がこぼれ落ちないように、やや上の方に視線を上げて裏口を出た。



学校から聞こえる楽しそうな生徒達の声を聞きながら“何してきたんだろう…アタシがどんなに願ったって昔には戻れないんだ…今しかアタシにはないんだ…先生、こんなアタシを心配してくれてありがとう。喜んでくれてありがとう”と、寂しさと感謝の気持ちを整理しながら家までとぼとぼと歩いた。



3年間は短い。

戻れなくなって初めて、中学3年間の学校生活の大切さ、学校で学ぶことの意味に気がついた。

勉強以外に学校で学ぶことってたくさんあったんだ。

大事な3年間をアタシは無駄に過ごしたんだという後悔の思いでいっぱいになった。

後悔したところで私はもう中学生には戻れない。

不安なこれからの未来だけしか私が出来ることはないんだ。

私は、頑張れなくてもやるしか道は残されてないということを実感したころに家に着いた。



「ただいまぁ~願書貰ったょ~」と私が言うと、母は喜んだ顔で玄関まで出迎えにきて「おかえり!学校どーだった?先生変わってなかった?」と聞いてきた。

どうやら母は、問題児だった私を先生達がどんな感じで迎えてくれたかを心配してくれてたようだった。

願書を貰ったことで私が良くなってきてると信じて喜んでる。

母は、私が先生に嫌な顔されたんじゃないかと気がきじゃなかったと言った。

私が「先生、優しかったし喜んでくれたよ」と話すと、母は「よかったね。願書大事にしまっとくね」と願書を大事に仏壇の引き出しにしまった。

泣きそうになったことは話せず、私は楽しそうに先生との会話を母に話してた。


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