以前から父がテレビを見ながらたまにお腹をさすっていたのは気付いてた。
ある朝、我慢強い父がお腹を抱えてうずくまった。
どうしようもないくらい痛いと言う。
その様子を見て母も私も慌てふためき救急車を呼んだ。
父が救急車に乗せられて病院へ行った。
念のため大腸の検査をしましょうと言われ父は病院から帰ってきた。
私も母も「何かにあたったんじゃない?」くらいにしか思わなかった。
検査当日、再び父がお腹を抱えて苦しみ始めた。
救急車!と連絡をしようとしたら父が自転車で病院まで行くと言った。
どうやら前回救急車で運ばれた時、救急車はタクシーとは違いますからと救急隊員に言われたらしかった。
自転車で病院へ行き大腸の検査をしてもらうと即入院だと医者に言われた。
父の大腸に腸閉塞になるくらいの癌が見つかったのだった。
担当医に母と私が呼ばれ、本人に告知しますか?と聞かれた。
告知するかしないかは母と話し合わなければいけないので、担当医にはまだ伏せておいてくださいと言い、そのあと母と2人で話し合った。
父の性格を考え、癌だと言われたらどんなにショックかを話し合った。
結果、良性なら告知する悪性なら告知しないということになった。
入院して一週間も経たないうちに手術することになった。
手術当日、父は首から点滴をし管を飲んで手術室へ入っていった。
5時間で手術は終わり麻酔の切れてない父に付き添った。
麻酔が切れてくると痛むらしい。
痛み止めと言う注射をされる父。
その注射はモルヒネだった。
手術が終わったとき担当医に呼ばれ切除した大腸と盲腸を見せられた。
結果は、悪性の進行癌だった。
父には十二指腸潰瘍だと伝えた。
そしてあっという間に1ヶ月が過ぎて父は退院した。
退院したけど仕事が出来る体じゃなく会社は長期休暇をとるしかなかった。
そして父はパソコンを買い会社の事務が出来るようにとパソコンをいじり始めたけど、独学でパソコンは無理だった。
そして長期休暇の期限が切れて父は会社を辞めるしかなくなった。
癌で手術をした父は変わった。
私が幼い頃、ひどい喘息で苦しんでるときには見て見ぬ振りをしていた父が、私が牡蠣にあたって嘔吐、下痢をしたときすぐに自家用車で病院に連れて行ってくれるようになった。
今まで病気一つせずに生きてきた父が、癌になって初めて具合悪い時の苦しさを知ったようだった。
担当医の話では5年再発しなければ大丈夫、そういっていた。
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