知君と出会った夏、私はアイスクリーム屋さんでバイトしていた。
アイスクリーム屋さんを段々ばっくれ始めた時、私は知君ん家でネタ(覚せい剤)を喰って(打って)いた。
知君ん家から出るときドアを開けると紙が置いてあった。
そこには、店長が心配してることとばっくれた事は気にせずお店に来るようにと書いてあった。
どうやって知君ん家を見つけだしたのかはわからない。
知君は置き手紙を見て「人ん家に勝手に来やがって迷惑だ!」と怒ってしまった。
結局その後、アイスクリーム屋さんを辞めた。
制服を返しに行ったとき「本当に大丈夫?」と心配されたけど「短い間でしたけど、どうもお世話になりました」と言って店を後にした。
その数ヶ月後、秋の終わりに母と一緒にデパートにショッピングしに行った時、アクセサリー屋さんでピアスを何点か選び購入するためレジに行くと20代後半くらいの男の人がレジをやっていた。
そのアクセサリー屋さんは、私が中学生の時から行っていたお店で、今までは人は変わっても若いお姉ちゃんが店を仕切っていた。
男の人…珍しいなぁと思ってレジにピアスを出すと「ねぇ…君何歳?アルバイトしてる?」と聞かれた。
私は「えっ?18歳でアルバイトしてませんけど…」と言うと「この店でアルバイトしてみませんか?」と言われた。
私が母に「どうしよう…」と言うと、母は「やりたいならやればいいんじゃない?」と言われ、私はアクセサリー屋さんで働くことになった。
男の人になぜバイトを誘ったのかを聞いてみたところ、バイトしてた人が急に辞めちゃって…自分は正社員でバイトしてくれる子が見つかれば本社に戻るという話だった。
私の他に2人バイトしてくれる子がいるから、3人でシフト決めてくれて構わないからとも言われた。
そして、バイトを始める3人が初顔合わせをした。
1人の子は21歳、もう1人の子は19歳だった。
2人とも私の苦手なタイプではなく、感じのいい子だった。
まずは店長を決めなければならない。
一番年上の21歳の子が店長をやればいいという話になったけど、その子はクリーニング屋さんでもアルバイトしてるらしく、そんなにたくさん出勤出来ないからと言うので、19歳の子が店長になった。
そして、3人でアクセサリー屋さんで働き始めた。
まず開店してやらなきゃいけないのは前日の売り上げを計算しなければならない。
売れた時に正の字で何が何個売れたのかを書いてあり、それを表に書き込んで全部でいくら売り上げたかを電卓で叩かないといけない。
電卓なんて叩いたことない私は計算するだけで二時間かかった。
その他に芸能人のプロマイドも売ってるから売り上げ計算終わった後プロマイドの在庫確認して、売り上げ計算表と少ない写真を本社にFAXしなければならなかった。
最初は電卓を叩くのが遅かった私はプロマイドの在庫確認をして、電卓を叩くのを他の2人に任せてた。
19歳の子は商業高校を出ており電卓を叩くのがすごい早かった。
でもそのうち、19歳の子に「のり子ちゃんも計算出来るようになった方がいいから」と言われ電卓を叩くようになった。
するとあっという間に電卓を叩くのが早くなった。
一番キツかったのが棚卸しだった。
籠いっぱいのヘアピンやバレッタ、ずらーっと並んだ指輪…ヘアピンなんて一つの籠に1000個以上入っているものを一つずつ数えて、商品一覧表に商品別に個数を書き込む。
3人とも、売り物の商品を勝手に付けるようになっていった。
そこのアクセサリー屋さんは万引きが多く、棚卸しで売れた品物の数が合わないのが当たり前だったから、売り物の商品をちょろまかしても平気だった。
ピアッサーをちょろまかしてはピアスを開けて、両耳で7個だったぴあすが9個に増えて、当時流行っていたボディピアスでピアスの穴を拡張した。
ネックレス、ブレスレット、ピアス、指輪、ヘアーアクセサリー売り物すべてが自分の物状態だった。
そして閃いた。
これってお金もちょろまかできるんじゃない?
商品を買うためにレジにやってくるお客様のお金ちょろまかしても大丈夫。
レジに打ち込まず電卓で計算し、打ち込まなかったお金は私の物。
そうして、私は1日に5千円くらいを手に入れるようになった。
棚卸しで数が合わなくても万引きされたことにすればいいのだ…大丈夫バレない。
働き始めて少し経った頃、売り場に似合わないおじさんがやってきた。
ネタを喰ってた私がえっ?内偵?とグリッ(勘ぐっ)ているとおじさんはレジにいる私の所に来て「ぁ~あ。ダメじゃないか。新商品の陳列しなくちゃ」と言って、送られてきたままの新商品の入ったダンボール箱を開けて「そこの目立つ所に置きたいからそこの商品をあっちへ移して」と指示してきた。
本社から様子を見に来たおじさんだった。
その時は21歳の子と私の2人…2人とも本社のおじさんの指示されたことを必死にやった。
売り上げをちょろまかしてることがバレなかったのが救いだったけど、おじさんの指示はとんでもなくハードでその日1日はすごい疲れた。
それから3ヶ月に一回くらいのペースで違う本社の人が来てはダメ出しされ陳列の模様替えに追われた。
すると21歳の子が辞めると言い始め辞めてしまった。
19歳の店長の子と2人になってしまったのでシフトは週5で10時~5時の早番か1時~8時までの遅番、店長の子が休みの日は10時~8時まで働かなくてはいけなくなった。
ただ、喫煙は一時間に一回くらいお店を空にして喫煙しにいけたのは救いだった。
お昼ご飯はおにぎりでレジの裏で食べた。
冬になると店長の子が店番の時に編み物をやり始め、私もマフラーを編み始めた。
デパートの事務所の人に見つかると怒られるので隠れて編み物を編んでいた。
過去にも編み物をしたことあったけど完成させたのは、この時編んだマフラーくらいだった。
営業中に編み物が出来るくらい暇な店だった。
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