12月15日 八王子家庭裁判所で鑑別所送致が決定されて、私は立川女子留置場から八王子鑑別所に移された。
鑑別所に移された私は鑑別所に着くと、まず
鑑別所職員の前で真っ裸にさせられて着替えをした。
鑑別所は、留置場と違い私物の洋服が着れず、決められた洋服を配布された。
そして、留置場に続きまた房は1人だった。
留置場と違うのはトイレだった。
留置場は小窓があったけどそんなに見られてるわけじゃないし気にならなかったけど、鑑別所はトイレの便座がまんまあり、カーテンがついているだけだった。
夜寝る前と起きた朝の着替えも、狭いカーテンがひけるスペースで着替えなきゃならなかった。
15日の夜に立川女子留置場から八王子鑑別所に移されたんだけど、まるまる一週間入浴をしていなかった私は、鑑別所の職員に次の入浴はいつかを聞いた。
すると、その日が入浴日だったと言われた。
お風呂に入りたい。
次はいつ入浴日なのかを聞くと19日の火曜日だと言われた。
我慢するしかなかった。
鑑別所の独居房はトイレと洗面台と小さな棚、小さなちゃぶ台と布団、テレビがあるだけだった。
八王子鑑別所ではラジオTokyoFMが流れていた。
15日の夜に鑑別所に移された私は冷め切った夕御飯とお茶を出されて完食した。
ご飯の量が多かったけど、ちゃんと食べなくちゃと思い無理して食べた。
そして次の日、鑑別所の医務室に私の他3人の女の子を連れて血液検査をされた。
運動も参加したければ、申請すれば他の子と混じって卓球だったり、バレーボールなどが出来ると言われたけれど、私は他の子と運動する気分にはならなかったので参加しなかった。
本が借りられるとのことで、私はラジオを聞きながら読書をして過ごした。
そして19日の入浴の日がやってきた。
そしたら、入浴する前に私は練馬鑑別所に移送されることになった。
え???お風呂入れないの?
前回、大麻取締法違反で麻布警察署に捕まって霞ヶ関の家庭裁判所の調査中だった私は管轄が霞ヶ関になっていて、八王子から練馬鑑別所に移されたのだった。
練馬鑑別所に移された私は、また真っ裸にさせられて着替えをし、また独居房に入れられたのだった。
当時、八王子鑑別所は改築されて施設全体が新しい匂いがしたのに対し、練馬鑑別所はボロボロな感じだったけど、私的には冷たい感じのする新しい鑑別所より、古いけど馴染みやすい練馬鑑別所の方が居心地がよかった。
八王子鑑別所はラジオがTokyoFMだったけど、練馬鑑別所はYokohamaFMで私的にYokohamaFMの方が好みだった。
ラジオからは華原朋美の
I BELIEVEとglobeの
DEPARTUREが流れていた。
練馬鑑別所に移されて一冊の新しいノートと鉛筆を三本渡された。
私はそのノートにパクられた日から、取り調べが何日にあったか、お母さんが何日に面会に来たか、鑑別所にいつ移送されたか、お風呂にいつ入ったかを書いた。
20日 考査(心理テストとかを行った)
21日 家庭裁判所の担当の調査官だった牛山さんがやってきた。
牛山さんは会うなり「あなたみたいな嘘つき初めてだわ!もうなんて言おうとしりません!」と怒られ、呆れられ、見捨てられた。
私は「だってS(覚せい剤)をやってるなんて言えるわけないだろ!?」と牛山さんに対してどう思われてもいいやと思った。
まるまる二週間お風呂に入っていない。
頭が痒い。
22日ようやくお風呂に入れた。
入浴は収容されてる女の子全員が一緒にお風呂に入った。
入浴時間も決められているので、手早く髪の毛と体を洗わなきゃならない。
練馬鑑別所は古い建物だったので、シャワーがついていなかった。
湯船のお湯で石鹸を流した。
でも、冬で寒かったので練馬鑑別所では、ドライヤーを貸し出してくれた。
22日 考査
25日 お父さんお母さん面会
26日 入浴
27日 考査
28日 牛山さん調査
29日 入浴・考査(お正月日程、午前中→起床7時30分点呼点検、図書交換、午後→TV(ビデオ二時間)、おやつあり、16時に点呼、夜→いつもと同じ)
30日 鑑別所更新(午前中→起床7時30分点呼点検、運動強制参加、医者の診察、午後→TV(ビデオ、作文あり)おやつあり、16時点呼、夜→いつもと同じ)
31日 入浴(午前中→起床7時30分点呼点検、図書交換、午後→いつもと同じ、夜→年越しそば(どん兵衛のカップラーメン)テレビあり、紅白歌合戦のラジオ配信0時まで)
1996年1月1日(午前中→起床7時30分点呼点検、課題作文あり(新しい年を迎えて)おやつあり、午後→TV(自由)、夜→いつもと同じ)
2日 入浴(午前中→起床7時30分点呼点検、図書交換、医者診察、午後→いつもと同じ、夜→いつもと同じ)
3日 貼り絵(起床7時30分点呼点検、貼り絵(1996年どんな年にしたい)運動、TV(自由)夜→いつもと同じ)
4日 お父さんお母さん面会
5日 入浴
8日 お母さん面会
9日 入浴
10日 霞ヶ関家庭裁判所にて審判
面会に来てくれた父と母は、家庭裁判所に私が家に帰れるように話をしてくれてると言った。
まさか、ここまで薬物を乱用しているとは思わなかったとも言われた。
入浴の日のお風呂掃除は、暇なので自分から進んでやった。
牛山さんは、形上調査として会いに来ていたが私のついてた大きな嘘を根に持ち、私の話を聞こうとはしなかった。
審判の日、練馬鑑別所で真っ裸にさせられて自分の洋服を着せられ霞ヶ関の家庭裁判所に連れて行かれた。
待合室で、審判の時間まで待たされて、10時に審判の部屋まで手錠と腰縄をつけられて入っていくと、緊張した父と母が待っていた。
私は父と母の間に座り、審判をくだす審判員を見て家に帰れるように祈った。
だが、審判員の口からこぼれたのは「…よって、中等少年院に送致する」という言葉だった。
母は泣き崩れ、父はそんな母を支えた。
私は中等少年院送致と審判がくだされて泣きたかったが、母が泣き崩れてしまったので、私は大丈夫だよという風に毅然とした態度をとった。
審判の部屋まで手錠に繋がれたブルーのロープを握っていた男の人に「よく泣かなかったな。普通みんな泣くのに」と言われた。
私だって泣きたかった。
でも、自分のやった結果だから仕方なかった。
泣いたら帰れるならば泣いただろう。
しかし、泣こうがわめこうが中等少年院送致の結果がどうにかなるわけじゃない。
よっ君だって、刑務所に服役するんだ、私だけが辛いわけじゃないと自分に言い聞かせるしかなかった。
そうして、1日12日榛名女子学園から迎えの車が来て、私の身柄は中等少年院へと送られた。
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